巡り巡りて我が身だとするならば
情けは人の為ならず
巡り巡りて我が身にかえる
(One good turn deserves another)
情けを掛けた相手から
恩返しのように直接、返してもらうモノではなく
(借りができたとか、貸しがあるとかじゃ~なく)
人からまた人へと回り廻って
いつか自分の元へ情けとして帰ってくるものなのだよ。
だから恩に着せるモノとは違うのだよ。
って、、そーゆー意味だと教わった。
なら、、
人の罪、社会の罪だってそうなんじゃないかと・・・
感じてしまう今日この頃。
なんの罪もない無垢な子供達が
無抵抗なまま未来を閉ざされてしまう事故に遭う。
絶望した大人の拡大自殺の道連れにされてしまう。
100%絶対悪ってものがあるのか?
それは生まれながらの悪魔なのか?
痛ましい事故を伝えるニュース覧のコメントの多くが
「死ぬなら独り勝手に死んでゆけ!」だ。
ホントっ。そう思う!
切に、切に、、そう願う。
けれども、、多くの人は
なにも悪い事はしていないを良しとして
人の事は『おかまいなし』みたいな日常になっていないか?
フィフティフィフティに甘んじることなく
常に51%以上を追い求めて
罪には問われないギリギリのところで
姑息な手段を用いたりして得意満面になってはいないか?
小さな蝶の羽ばたきひとつが時間経過とともに
遠く離れた場所の竜巻を起こす例え『バタフライ効果』
非常に些細な小さなことが様々な要因を引き起こし
だん…