巡り巡りて我が身だとするならば

情けは人の為ならず
巡り巡りて我が身にかえる
One good turn deserves another
情けを掛けた相手から
恩返しのように直接、返してもらうモノではなく
(借りができたとか、貸しがあるとかじゃ~なく)

人からまた人へと回り廻って
いつか自分の元へ情けとして帰ってくるものなのだよ。
だから恩に着せるモノとは違うのだよ。

って、、そーゆー意味だと教わった。
なら、、
人の罪、社会の罪だってそうなんじゃないかと・・・
感じてしまう今日この頃。

なんの罪もない無垢な子供達が
無抵抗なまま未来を閉ざされてしまう事故に遭う。
絶望した大人の拡大自殺の道連れにされてしまう。

100%絶対悪ってものがあるのか?
それは生まれながらの悪魔なのか?

痛ましい事故を伝えるニュース覧のコメントの多くが
「死ぬなら独り勝手に死んでゆけ!」だ。
ホントっ。そう思う!
切に、切に、、そう願う。

けれども、、多くの人は
なにも悪い事はしていないを良しとして
人の事は『おかまいなし』みたいな日常になっていないか?
フィフティフィフティに甘んじることなく
常に51%以上を追い求めて
罪には問われないギリギリのところで
姑息な手段を用いたりして得意満面になってはいないか?

小さな蝶の羽ばたきひとつが時間経過とともに
遠く離れた場所の竜巻を起こす例え『バタフライ効果』
非常に些細な小さなことが様々な要因を引き起こし
だんだんと大きな現象へと変化することを指す言葉。

自分さえ、自分達さえ良ければイイと
社会に生きる多くの人がそんな風に思いながら
日々の生活を送っているコトの積み重ね。

それぞれが生き残りをかけて
自分よりも弱い立場の人を気にかけることをせずに
「あんなふうにならなくて良かった」
胸を撫でおろすことは罪ではないと断言できるのか?

巡り巡りて
自分自身を守れない弱い立場にいる子供達が
怨恨の犠牲になったりするんじゃないかと考えてしまう。

川崎事件の自殺した犯人は51歳。
報道で使用されるその写真は中学時代のモノ。
この現代において
写真の一枚さえも残せなかった数十年・・・
植物状態であったハズでもなかろうに
「記念の写真を残そうよ」そんな声がかかることも無く
あの日、あの犯行に至ったのだろう。

うつ病患者が判っているだけでも10年で18%増。
この推移に、、私達ひとりひとりに何の責任も無いと言えるか。
「家族みんなが健康でいられますように」と
神頼みするだけではいけないのじゃないか。

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